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強さ弱さ

人の心は強そうでいて、本当は弱いもの。

しみじみと自分の弱さを知ることは、両刃の剣。

片方の剣は、自分は弱い、と自己催眠にかかる

人がいて、自己を封じ込める。

反面の剣は、弱さを超えようと強さにチャレンジ

する人もいる。この強さは、自意識過剰とか排他的な

ものに流れやすい。ただ強いだけではだめ。

失敗して落ち込むマインドの不思議。

失敗は、幻想だと言うのになぜ落ち込むのだろう。

ママが来て、おーよちよちと、おっぱい飲ませてくれる

・・・そんな期待があるのかな。

甘ったれんじゃあないよ、そこの若者&おっさん。

自己の目標を達成するまではネ。

失言してから悔み、落ち込むマインド。そんなもの

間違いだったと開き直ればいいだけのこと。

人から馬鹿にされて怒るのは、マインドの弱さの表れ。

強いものは馬鹿にされても簡単には動じない。

マインドの強いものは、馬鹿者が発言することに

なんら動揺しないから。

人から忠告されて、へそを曲げるのは、曲芸師だ。

僕なんか、曲げるだけの長さのへそが無い。

離婚とか失恋に泣くのもマインドの弱さ。恋愛相手は、

無限にいるだろう。もっと素敵な人をゲットすればいい。

それか、人を好きにならなければいい。

なんで泣くのだろう?

頑張ったから自分にご褒美をやるというマインドは、

弱さの現れだと、誰が気づけるのだろう。

打算的に、ご褒美を欲しがるものがいて、それを甘やかす

お馬鹿な人がいるのは、まさに分裂症だ。そのことを気付け

ないのだろうか。分裂症が言い過ぎだ、と言うなら、漫画だと

いいたい。マンガ。自分の中から、ご褒美を欲しがるものを

追い払えば、分裂症は消える。

愛おしい人が死んだからと、さめざめと泣くマインド。

本当は、死んだ人は生の苦悩から解放されて幸せだ

と言うのに。そのことは、遺体から離脱した光球を

みれば分かること。泣く者それを知らず。

泣いてあげることが美徳だと考えるのだろうか。

泣かないと薄情ものと思われるからだろうか。

泣くのは、その人が他界して、自分の立場が不利に

なるから泣くのではないだろうか。

弱気の打算的なマインドが泣く。(´;ω;`)ウッ…

仕事や対人関係の中で、普通の日常生活の中で、

多くの人は、自分の弱さと醜さに直面する。

それを歪曲せずに直視することが出来ないのも

マインドの弱さ。歪曲してみないことには、正視に

耐えられないのだろう。たぶん。

言い訳や反発がなくなった人のマインドは強い。

強いからこそ、言い訳をしないんだ。

強いから、やたら腹を立てないんだ。

あいつが悪いから自分の腹が立つ、と考えるのは

普通か愚か者。なぜなら自分に原因があればこそ、

あいつが悪い、という現象が起こることを知らない。

むかしの僕もそうだった。

人は強さを身につけないと、いつも弱者のままだ。


自分よりも低いものを侮蔑する人は、心が醜い。

それは、地位であったり、お金であったりする。

自分より高い人に迎合するのは、更なる弱虫。

自分よりも弱き者を助けることなく無視する人、

彼らのマインドは弱くて残酷だ。

人生のすべてにわたり、自分を知るチャンスに

溢れているというのに、なぜ自分を観ないのだろう。

眼は外側を向いているから無理もないかな。

人の陰口をたたいて、自分の能力や立場を同僚に

自慢するのは、最たる愚か者。そんな人たちは、

何処にでもいる。自分の立場や利益のために嘘を

つくのは、あきれ返るほどの愚か者。誰があきれ

返るのか、というならそれは他人に決まっている。

愚か者ゆえ、それを知らず。

愚かなるもの、弱き者の名は、マインドという。

マインドが想像できないような強さと純粋さと知識と

諸力を内包する者の名は、アートマン。

誰もがアートマンであり、アートマン無き人は誰も居ない。

アートマンは、生まれず、老いず、愚かならず永遠に

死なない。死ぬのは、マインドとマインドが投影する

有機体の肉体だけ。肉体の死は、細胞に封じ込められた

原子が解放されること。物理学が言う原子の正体は、

いったい何だろうか。


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ヒーリング受講の意味

人は日常の中で様々な想念を抱きます。

その想念は自分から発したものでありながら、自分自身がそれに縛られ、巻き込まれ、

まるで、

「想念が主人公であるかのように、人が想念に支配されているのだ」

と思うのは僕の観察なのか、想念なのか。(笑)


しかし、日浦さんが仰るように、その想念が実のところ自分から産み出されるばかりではない、よそから来たものであることも多いとするならば、

それは悲しいかな、本当の意味で「魂の自己が支配された人生」を送ることを意味していますね。

では、

支配され、輪廻に巻き込まれ行く魂を解き放つにはどうすればよいのか。

それは、今度は魂の自己が、心や脳を駆け巡る想念を意識的にコントロール下に置くことだと思います。

想念による自動支配、想念による奴隷支配から解放されるのだ!

と魂が声を上げなくてはなりません。

そのためには、自身から沸き出る想念が一体何であるのか、どんな性質を持っているのか。そして何処から来たり、それは我をどのベクトルへ誘うものであるのか。

その一つ一つを精密に識別できる眼を持つことが必要となってくるに違いありません。

僕の心は静止し、平安を感ずる時が多くなっているのは嬉しいことではあるのですが、

しかし、上記のような想念に支配される人生基盤を根元的に抱えたままであることは変わっていません。

ゆえに僕はサハスラーラ新宿においてヒーリングとその仕組みを学びます。

・・・

ヒーリングや霊的能力に興味を持てない僕が、なぜそれを学ぶ必要があるのか。

そうした、

今まで何か心に感じていたものの上手く表現出来なかった疑問?は、今朝ようやく解かれたように思います。

No title

誰が書き込んだのか・・・
と思えば、またまたサム君だね。

ヒーリングセミナーを告知した頃、僕は平安に満たされていて、
そのようなセミナーに関心がなくなっているんだよなぁ・・・・・
と言っていた君よ。

心が平和なことは良いことだ。だがそれだけでは、輪廻を
超えられない。

40代の時、大き目な事件があって、自ら深い地獄へ飛翔した
お馬鹿な日浦。

その時、聖霊の忠告があった。
「待てよ日浦!如何なる想念も捉えてはならない。」と。

「そんなことできる訳けねーだろう!」と怒り返した日浦。

すると、「如何なる想念をもとらえるな、という想念さえも
とらえるな!」との反撃的な教えを説いた聖霊。

その深い意味を知ることなく、限界の無き地獄の深淵に
堕ちてゆく日浦の境地は、とてもすがすがしかったんだ。

それは、一切の期待も未練もなんの執着も、何の恐怖も
ない静寂の境地だったから。

しかし、底があると思った奈落は、なんと底なしだった。
その途中、ぷつぷつと言う音と共に、アストラル体が震えた。
なんと、我から万物に生命線が繋がっていて、それが切断
する音だと知り・・・・我が万物の源だと知り、絶句したわれ。

最近、紫蓮さんがセミナーの受講生の前で告知したこと。
「日浦さんは、◯◯◯です。」
この告知、聞かなきゃあ良かったんだ(´;ω;`)


サム君も、想念の殲滅が課題だという理解が生まれた。
それが教えの究極なんだ。その知識を決して離すなよ!

本当の霊的能力は、自己の本性なんだよ。それを求める
ことは、王道なんだ。

だから、マインドが求める様々な力、霊能力は、滅びの
道なんだ。

ただ想念をコントロールする、という考え方を破壊せよ。
その想念の正体は自我なんだから。

再びセミナーに来てくれることを僕は嬉しく思う。

そして、偽りの自己を破壊する第二の正拳を受けてくれ。

何故か涙が流れ落ちている・・・・


日浦さんは魂の赤ペン先生ですね

絶句した日浦さんのコメントを見て、僕も絶句です。

その底なしは、広大な意識を持つ日浦さんに比例して、まさしく底なしの奈落だったのだと思い至ります。

そんな恐ろしいことを聞く僕は、身まですくんでしまうぐらいです。
想像でしかありませんが、ぷつぷつという音が脳裏をよぎって。。
頭を抱えてしまうんです。

紫蓮さんの告知は知りたい半面、知ればまた日浦さんの苦悩を改めて直視するのだと思うと、僕は大きく息を吸い、そしてまだ少々の心の準備が必要だと感じます。

そちらにお伺いするまでには腹を決めていられれば良いのですが。

・・・

今朝投稿したコメントの理解について、

>ただ想念をコントロールする、という考え方を破壊せよ。
>その想念の正体は自我なんだから。

確かに。 ...確かにそうでした。
ただそれらの想念から自由であれば良かったのだ。 だから、

>「如何なる想念をもとらえるな、という想念さえもとらえるな!」

という聖霊の教えは深い教訓なのですね。



その前の晩、実は「このまま死んでしまってもいいのではないか?」という思いにかられ、

セミナーを受講することの意義に、何か心の中にベールを掛けられたような感覚が生じたんです。

今、意識が平安であるのなら、もうこれを維持したまま死んでもいいのではないか?
この先いたずらにカルマを作らなければ、このままどこかで野たれ死んでも本望ではないか?

あと何か日浦さんに恩返しできることがあればそれで十分じゃないか?

そんなことが何度も頭をよぎったんです。

でも、

その「このまま死んでしまってもいいのではないか?」という思いが、どこから沸き出でるものなのか定かに掴める感覚が無く、僕はそれを保留することにしました。

それが魂の自己から生まれた認識とは定かに掴めなかったので、とりあえず自分の思いを信じずにひとまず距離を置いたんです。

体も脳も仕事で疲れていることだろうし、休息を取ってから改めて見つめ直してみようと、早々と寝ることにしました。

それで早朝目が覚めた時に、再度そのことに向き合うと、

「だからこそ、その思いを精密に識別する眼が必要なのではないかよ。」

という単純明快な結論が既に生じており、そのことについてはまるでベールが掛かっておらず、その思いがダイレクトに魂から生じている感覚だけがありました。

そして、そのこともやはり感覚だけに留まらず、実際に精密に識別しなければならないことなのだと分かりました。

こうして、魂を解放するためのステップが理解されました。

しかし、

それをコメントへと形にする段階で、識別力を学んでいない僕はまたまた想念に囚われていた訳ですね。

日浦さんにはコメントは放置して執筆に勤しんで下さいと言いながら、

そのような指摘を頂いて本当にありがたいことだと思います。

日浦さんは魂の学びにおける赤ペン先生ですね。

赤ペン先生とは、通信教育で子供たち一人ひとりに赤ペンで添削したり励ましのコメントを書いてくれる進研ゼミ(ベネッセ)の先生です。

自分ではまたも10年は気付かなかったかもしれません。

改めてどうもありがとうございます。<(_ _)>

そして、謹んで第二の正拳をお受けします。

それを思うと泣きそうですが、たぶん本当に泣くと思います。やばいです。

どうぞ宜しくお願い致します。<(_ _)>

ちょっと長すぎたので、返信はどうぞまたお伺いした時に頂戴したいと思います。

ありがとうございました。<(_ _)>

赤ペン

さては、第二の正拳を恐れて、引き籠ったか・・・?

という冗談を思った。


> 「このまま死んでしまってもいいのではないか?」という思いに
かられ、

その思いはまた長い間、僕を支配してきた自我だった。謙虚さを
偽装する自我。数十回もの自殺を決行したのも自我だった。


> セミナーを受講することの意義に、何か心の中にベールを
掛けられたような感覚が生じたんです。


よい気づきだね。
このヒーリングセミナーを受講しようとする人たちの意志が
何かに妨害されている読者も多いんだ。光りが強まると、
影もきつくなるように。

それに気付き、打ち砕かなければならない。

真理を知ろうとする者には、妨害が立ちはだかるのは太古の
むかしから現代も変わらない。仏陀やイエスだけに妨害が
あった訳ではない。何気ない個人も妨害される。なぜなら
名も無い何のとりえも無い普通の個人でさえ、目覚めたら
至高のアートマンなんだから。

サム君のながーい書き込みは、迷惑などではないよ。読者にも
よい影響を与えて入りじゃあないか。

プロフィール

代表:日浦祐次

Author:代表:日浦祐次
職業・建築家
東京都西新宿在住
事務局担当:長野匡也

身体内に閉じ込められて、
無数の条件付けに束縛された
人間としての私たちを

本当の自由へ導くための真理が
多くの偽り情報に覆われ、
真実は覆い隠されているのだと
聖典類に書かれてあります。
それゆえ、この世界は、マジック
ショーなのだと言うのです。

無数の束縛と無知という覆いを
取り去った裸の真理は、
求める人達に正しく提供される
べきであり、その目標へ到達する
正しい知識と方法を伝えることが
求められているという思いから、

「サハスラーラ新宿」
瞑想スクールを始めました。
http://sinnjyuku-saharsra.jimdo.com/

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